猫みたいに生きようぜ◎

すずにゃ は じぶん を ぜんこうてい した!

どれだけ自分を信じず、 外に求めて安心しようとしてたのか。

 

以前すごく共感していたブログ。

とても自由で常識にとらわれなくて、

いいなって思っていました。

 

が。

 

高い買い物をしたとある有名人に対して、

高いものを所有しようとしてるのはダサい、

それをどーんとシェアするほうが粋だ、

と書いているのを見て、

なんだか窮屈な感覚になりました。

 

その人なりのテツガクなんだと思う。

そういうふうに感じたのも

なんとなくわかる。

 

けど、わたしが有名人のブログから感じることは、

高いから、ステイタスのために

所有してるんじゃなくて、

かっこいい〜!とそれを本当に思うから、

それを所有してるんだと思うんです。

 

わたしは特にダサいとは思わなかったんです。

その人がとてもうれしい楽しいと思っていれば、

それでいいじゃん♬

と思うので、粋であってもなくてもよくて。

 

だからなんだか、粋であることを

押し付けているような感じがして

窮屈に感じました。笑

 

その日あたりから読まなくなりました。笑

人間主義主張が異なることもあるし、

窮屈に感じたのもわたしの反応なので、

だれがどうのってことではないのですが、

ただ、わたしが求めている自由と、

ちょっと違っていることに気がついたんですよね。

 

そのおかげで、

わたしの自由という概念が、

はっきり見えて来たんです。

 

その人の自由と、わたしの自由。

どっちもあっていい。

ただわたしはわたしの自由を選択しよう。

誰かの概念ではなく。

わたしオリジナルの自由。

 

そこで気づいたのは、

いままでは、自由の概念を

外に求めていたんです。

理解してもらえそうな人を探していました。

けれどもわたしひとりが理解していれば、

それで十分なんじゃないかと、

最近は思います。

 

わたしはその人が笑顔で楽しくいるのであれば、

その人が幸せを感じるのであれば、

ステイタスの象徴みたいなものを買っても、

どんな粗末なものであっても、

なんでもいいと思っています。

 

よかったねーって思います。

ほっこりします。

 

ただ、犯罪や人を傷つけることなどが、

快楽や愉快だと主張していても、

本当の意味での幸せではないと思っています。

幸せなんだって言ってもそれは建前です。

その奥に悲しみや怒りが必ず潜んでいます。

 

わたしは基本性善説だと思うんですよね。

人を傷つけることで、安心を得ているだけで、

その裏側にはどうしようもない不安や

恐怖がうごめいているんですよね。

 

それは楽しくないし、笑顔も嘘。

 

というのが、わたしオリジナルの

自由の世界観でした。

 

だから嘘の笑顔は嫌で嫌で、

相手も自分も正そうとしてきた。笑

いまは、

向き合えないこともあるよね、

その選択もありだよね。

それも自由なのかもしれないな。

と思えるようになったので、

正さないという選択肢もできました。

 

と、まぁ、

粋であるかどうかは関係なかったのでした。

きっとその方は粋であることが、

オリジナルの世界観で。

その方は笑顔なので、それで◎

 

その方は粋であること。

有名人は好きなことをすること。

わたしは笑顔であること。

 

それぞれがそれぞれの大切にしてる

価値観を表現してるだけなんです。

 

自分の世界観が明らかになったら、

同じ自由の世界観の人たちを

探さなくて良くなって、

ブログを読まなくなったのかもしれませんね。

 

どれだけ自分を信じず、

外に求めて安心しようとしてたのか。

こういうところにも現れていました。