猫みたいに生きようぜ◎

すずにゃ は じぶん を ぜんこうてい した!

ここのところのキーワード「過干渉」の奥にあったもの。

 

自主性を重んじる。

相手を尊重する。

可能性を信じる。

 

これはコアではなく、

コアと手を結べている価値観でした。

 

わたしのコアはもっと抽象的で、

自然体、調和、循環。

自然のごとく、

たえまなくスムーズに巡り、

たえず美しく変化する心地よさを感じること。

 

それが目的だから、

その手段のためにできた価値観でした。

ああ、いろんなことが重なって、

自分のこと、だんだん

わかってきたなぁ。

 

目的と手を組めない価値観があると、

すんなりいかなくて、

モヤモヤするんだけど、

ひとつみつけた。

 

調和するために、

その人のために、

働きかけないと

導かないといけない。

って思ってた。

 

いわゆる、過干渉。

働きかけがうまくいくこともあるけど、

そもそも働きかけないと

その人はできないって決めつけてるわけで。

いらなくね?

と思いました。

 

しかし。

母がわたしにしてたことと、

わたしが肌にしてたことと、

まったく同じ価値観。

 

対象者(物)はなにもできない前提で

接してたなぁ...。

本来自然体でいいのに、

人工的に手を入れようとしてた。笑

 

ごめんなさい。

 

だから、かえってうまく

回らなくなってたのかも。

 

母も過干渉をやめた。

わたしも肌の過干渉をやめた。

うまく調和してない人へ、

過干渉してませんか?

と、自分に問う。

 

とあることで、

オートで動いてしまってた自分に気付き、

過干渉していたのは、やっぱ彼でした。

過干渉したら、

なんにも変わってなくて。

 

そりゃそうだ、わたしが

なにもできない前提でいるんだから。笑

 

あーなんもわかってない、この人ー。

と感じました。

 

なんで過干渉しようとしたのかって言ったら、

調和してないからなんだけど、

調和してないものなら、

距離を置いて関わらないとか、

残念でした、と忘れ去るとか、

いつまでも置いとかなくてよいのに、

なぜ関わるの?と自分に問いました。

 

わたしが愛した気持ちは、

真意がまったく伝わらない。、

わたしが愛した気持ちは、

無駄になってしまう。

わたしが愛した気持ちは、

どこへゆくの?

虚しい。

 

そんな答えが出てきたのです。

 

「思いが伝わらないって、

理解されないって、

いらないって言われることって、

切ないけれど、

だからってわたしが放ったあたたかいものは、

決して無駄ではなく、

どこかで気付くかもしれないし、

どこかで花開くかもしれないし、

相手になんにも響かなかったとしても、

放ったわたし自身がひとつ残らず見ていて、

全部受け取っているのだから、

無駄ではないんだよ。」

 

そうわたし自身に自分で伝えました。

はらはらと久しぶりに涙が流れ、

なんだか報われた気がしました。

 

「誰かに伝えても伝わらない思いが

あったとしても、

その一部始終を見ていたわたしには

きちんと伝わってる。

あなたのあたたかさも、

あなたの真剣さも、

あなたの本気の思いやりも、

全部、わたしは知ってるよ。」

 

「いつもいつも真剣で、

愛を伝えようとがんばってた。

でも伝わらない時もあるし、

受け止めようともされない時もあった。

聞き耳すら立ててもらえない時も。」

 

「それでも、わたしはちゃんと見てたし、

あなたのあたたかさも、

伝わらない悲しみも、

全部を感じてたよ。

だから無駄にはなってないんだ。

全部わたし自身への血肉になってる。

だからもう、

いま伝わらないからって、

何度も伝えようとしなくていいし、

わたしの放った愛を取り返さなくていいんだよ。

大丈夫だよ。

わたしの放った愛は、

わたしがきちんと受け取っているから。」

 

ああ、わたしはわたしに、

きちんと愛されてる。

無駄になってしまった愛を

自分のチカラで取り返さなくちゃって、

一生懸命過干渉してたんだな。

 

自分の自信のなさもあるけども、

誰かに何かに伝わらなかった、

誰かを何かを幸せにしてあげれなかった、

自分と相手への

贖罪だったのかもしれないなぁ。

 

もういいよ、

愛は失ったわけではなかったし、

わたしの中に受け取っていたのだから。

 

なーんてやりとりがありまして。

このところのキーワード、

過干渉の価値観が変わりつつあります。

 

どんどん自然に戻っていくんだろうな♬