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猫みたいに生きようぜ◎

すずにゃ は じぶん を とりもどした !

相手を試すことは、一番信頼を失くす。だって自分のう◯こを投げつけて逃げてるようなものだから。

心の仕組み的。 恋だとか愛だとか的。 猫みたいにじぶんを生きる的。

  

「わたしの代わりなんてたくさんいるよ」

「好きな人ができたらそっちに行っちゃうよ」

「僕じゃなくて他の人にしなよ」

「どうせ他に行っちゃうんでしょ」

「わたしこんなんだけどほんとにいいの?」

 

ざっけんな!!!!!爆

(温厚なすずにゃさん、ひさびさに激怒www)

 

そう言うことはとてもたやすいよ。

言う側は、相手の気持ちを試してる。

相手に「あなたがいい」「あなたはすばらしいから」

って言ってもらって、自分が安心したいだけ。

 

自分の不安や自信のなさや罪悪感を

相手に押し付けているだけだから。

ぜんぜん相手の気持ちなんか考えてない、

自分のことだけを考えた、保身の行為。

 

自分のう◯こ投げつけて、
「これ片付けておいて!」って、

全速力で逃げてるのと同じだよ!

 

言われた方は、どう思う?

 

わたしこれ、何度も言われたことがある。

つい最近も。

何度も思ったこともあるし、

何度も言ったこともある。

(ほんとにごめんなさい)

 

放っているときって、

ただただ自信なくて相手に申し訳なくて、

ぜんぜんそんなつもりもないんだよね。

「それでもあなたがいい」と言われると安心するし、

「そんなあなたはいやだ」と言われたら、

相手は真剣じゃなかったのねって、自己弁解が出来るし、楽。

その心理はすごーくよくわかるの。

 

でも、言われた方としては、

他人のうんこ投げられて、

「これどうにかしておいて!」って、

他人の持つはずだった分の責任も背負わされるの。

 

Aが「それでもあなたがいい」と言ったら、

Bに「そうAが言ったから」という免罪符ができる。

Bには一時的に自分の不安を払拭してくれたという

感謝は生まれるけども、

Bの不安が根本的になくなったわけじゃないから、

生まれるたびにそれを繰り返すでしょう。

どんな自分でも許してくれるって思うでしょう。

雑に扱うでしょう。

Aは自分が尊重されてないことを感じ、いつかイヤになるでしょう。

そうしてAが離れたら、

「それでもわたしがいいって言ったくせに」

とBはAを悪者にするでしょう。

 

Aが「そんなあなたはいやだ」と言ったなら、

Bには「Aの気持ちなんて真剣じゃなかったのね」

って免罪符ができる。

自己弁解ができるから、Bは信じて裏切られるよりは傷付かない。

結局悪いのはAだってことになる。

 

これって、すっごく失礼。

自分の事しか考えてないし、

相手の気持ちを疑っている。

相手がどれだけ真剣だったとしても、

疑いの目で見られたら、

そして自分が負うべき責任まで背負わされたら、

 

人はその人を大切にしようと
思えるでしょうか?

 

 

-------

 

 

 

これは試す言動だけに留まらないことで、

たとえば、気持ちが離れてる気がした時に、

浮気を疑うことも、同じ原理だと思うのです。

 

気持ちが離れてる気がした時点で

相手の気持ちを疑っています。

 

そして自分の課題や

相手の気持ちや選択の自由を受け入れることなど、

本来自分が負うべき責任を取りたくないから、

その危険を回避するべく、

必死に相手に原因を見つけようとするのです。

「相手がわたしを傷付けた」と相手のせいにできますから。

 

疑われる人は大切にされていると
思えるでしょうか?
疑っている相手を大切にしたいと思うでしょうか?

 

たとえば、好きな人との復縁を願っていて、

諦めるか好きでいるか迷って、理由を考えるときも、

同じ原理です。

 

迷っている時点で

相手と復縁する可能性を疑っています。

 

そして自分の課題や

相手の気持ちや選択の自由を受け入れることなど、

本来自分が負うべき責任を取りたくないから、

その危険を回避するべく、

必死に相手に理由を見つけようとするのです。

「相手がこれをしてくれたから、好きでいても大丈夫」

「相手のここがイヤだったし、復縁してもムダ」

どっちをとっても相手のせいにできますから。

肝心なのは、自己責任を背負っても、

わたしは彼を好きなのかどうかです。

 

好きかどうかが相手次第な人の「好き」は、
真剣に思われていると
思えるでしょうか?
そんな相手を大切にしたいと思うでしょうか?

 

結局、自分しか見てなくて、

損したくないんですよね。

 

試す行為だけじゃなく、

人間関係のどんな場面でも、

相手を疑うことは出てくる。

自分しか見えてない時ってたくさんあるし、

それをなくすことはできないけど。

 

少なくとも気付くことはできるし、

そもそもの発端は、

自分に自信がないことから始まるのだから、

自分に自信があれば、

相手も信じることができる。

 

なぜ自信がないかって、

損するのが怖いから。

自分が信じて失ったときの痛みを感じたくないから。

責任放棄したほうが、楽なの。

自分の課題に取り組むのって、

怖いし、痛いし、とってもしんどい。

相手を失う可能性も受け入れないとならないし。

 

わたしも、自分隠したり、

責任放棄しっぱなしだったし、

押し付けられたりしていたから、

いまココに取り組んでいるところです◎

だから書いてる。

 

いままでずーっとう◯こ投げてたし、

投げられてたのに受け入れてたんだなって知った。

無法地帯。

だから、わけもわからなかったけど、

あの時受け入れられなかったのは、

それでよかったし、

ちょっとずつ自分の中に自分の基準が出来てるんだと思う。

 

そんなふうに過去のことを振り返って思いました。