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猫みたいに生きようぜ◎

すずにゃ は じぶん を とりもどした !

【図解】相手を決めつける・レッテルを貼るって案外いいことなのかもしれない。

猫みたいにじぶんを生きる的。 恋だとか愛だとか的。 解析シリーズ的。

 

相手を決めつける。相手にレッテルを貼る。
自分を決めつけられる。自分にレッテルを貼られる。

 

コレ、モーレツにイヤでした。

 

嫌悪していました。

 

なぜかというと。手描きの図で説明します◎

 

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相手のことを好きか嫌いかって、

 

相手自身じゃなくって、

 

相手の持ってるもの、表現しているもので

 

判断してると思うのです。

 

相手の表現したもの、相手のいつもの態度、

 

それをひとつひとつピックアップして、

 

自分は好きか嫌いか判断してます。

 

(無関心カテゴリもあるのだけど、大雑把に。)

 

好きと嫌いの割合で、わたしなりの相手の人物評価が決まります。

 

そしてその人物評価によって、

 

わたしはその人にどう相対するかの行動が決定します。

 

例)この人のしつこいところが嫌い→この割合が結構占める→わたしはこの人が嫌い→避ける

 

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だいたいの人はその人物評価が下されたあと、

 

「その人物はこういう人であるから嫌い」という結論を持ち、

 

「こういう人はわたしは嫌い」という価値観を築いて

 

ここで止まります。

 

その人物と再度交わったり、同じような人が再度現れたりして、

 

それ以外の見方をしようとするまでは、

 

わたしはこういうひとが嫌いという価値観を持ち続けたままです。

 

そしてなぜか避け続けても、

 

同じような人や場面に遭遇し続けたりします。

 

だけど。

 

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同じ人や同じような人や場面に対して、

 

それ以外の見方をしようとすることで、

 

嫌いだと思っていたその人の持っているクセや性質などが、

 

好きに変化したり、気にならなくなったりすることが起きるのです。

 

以前貼ったネガティブなレッテルが変化して、

 

好意的なものになったとき、

 

人は相手にも自分にも寛大になります。

 

見方を変える大きな要因は、

 

その人が持っている性質やクセ、
表現した態度の
理由がわかること。

 

だいたいはね、愛から来ています。

 

その人なりの愛から。

 

自分を守る愛、他者に向けられた愛、

 

思い込みの愛、ひねくれた愛、

 

形は様々ですけど、その人なりの愛の形です。

 

それを自分が好きか嫌いか判断しているだけで、

 

その根源を見たら、だいたいの嫌悪は消えてゆきます。

 

思い切り好きになってしまったり、

 

あってもいいけど、わたしは好まないかなって状態になったり、

 

どっちでもよくなってその件に関しては無関心になったり。

 

さらに嫌悪をますこともあるかもですけど。

 

だいたいは、愛から来てるんだな、って許せます。

 

 

 

人間のおもしろさは、

 

そういう変化があるってこと。

 

その人が持っているものや表現したことについて、

 

その人はすべてを説明しないし、

 

自分ですらわかってなかったりする。

 

だからこそ、コミュニケーションをして、

 

その誤解を解いていったり、

 

理解しようとしたり、喧嘩したり、

 

分かち合ったりして、

 

そうやって、相手をまるまる愛そうとする。

 

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その人の存在をまるまる全部、愛そうとする。

 

それは自分に対しても同じで、

 

自分の存在をまるまる全部、愛そうとする。

 

 

 

だからこそ、わたしは相手を理解したいし、知りたい。

 

レッテルを貼り付けて一元的にしか見れない人になりたくない。

 

思い込みだけで人を見るのは嫌だ。見られるのも嫌だ。

 

相手を決めつける。相手にレッテルを貼る。
自分を決めつけられる。自分にレッテルを貼られる。

 

これが本当に嫌なことでした。

 

けれど、レッテルを貼るのを避けていると、

 

自分の行動がなかなか定まらないということが起こります。

 

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好きというレッテルは簡単に貼れる。

 

だから相手のある部分を好きというのは容易に決定される。

 

相手のことが好き、は自覚できる。 

 

しかし、嫌いのレッテルは自分にも相手にも貼りたくない。

 

だから好きや無関心にカテゴライズされないものは全部、

 

検証対象となり、疑問になる。

 

たぶん好きではない系に反応すると

 

即座に疑問となり、

 

相手の行動の理由とその愛を常に見ようとする。

 

けど、相手のことをまだ知らなかったりするから、

 

理由を聞きたいわけです。

 

けれど、衝突したくなかったり、

 

場の空気を読んだり、

 

自分を粗末に扱っていたりして堂々と聞けない自分がいて、

 

「想像」や「少ない証拠からの推測」で検証するしかなかったのです。

 

(幼少のころとまったく変わらないな。)

 

そうなるともう、永遠に結論のでないぐるぐるになって、

 

嫌いというレッテルも別のレッテルも貼れないまま。

 

好きと無関心というレッテルは確定、

 

そうでない部分は疑いを持ったままなので、

 

割合がわからず、行動は定まりません。

 

自信を持って思い切り好きだ!とも言えないし、

 

嫌い!とも言えない。

 

自分はどうしたらいいのか決められないのです。

 

 

 

だから、お付き合いがあるうちも

 

「たぶん好きではないこと」をされてもレッテルを貼らず、

 

レッテルを貼らないから自分の意思もわからず、

 

自分の意思もわからないから主張もできず、

 

好きではないことをぼんやりした曖昧なものにして、

 

相手とコミュニケーションして誤解を解くこともせず、

 

ただただレッテルを貼るのから逃げていました。

 

いまここにある自分も

 

目の前にいる相手も

 

まったく見ていなかったのです。

 

 

 

関係が終わったあとも、

 

相手のここが嫌いだというレッテルが貼れないままで、

 

行動が決められず、先に進めなくて、

 

相手を判断する要素や確証が欲しくて、

 

相手に連絡取って確かめようとしたり、

 

ハッキリわかるように言ってもらいたいから、

 

会いたいとか思うわけです。

 

自分で相手のことを嫌いだというレッテルを貼るのが嫌だから、

 

相手に貼らせようとしているのです。

 

相手がわたしのこと嫌いだって言ったから、

 

終わりなんだと思わせるために。

 

それはもう、執着、です。

 

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ぐるぐるしちゃう人やいつまでも引きずってしまう人、

 

優柔不断のメカニズムって、こういうことなんじゃないかって。

 

相手にも自分にも
ネガティブなレッテルを貼るのを避けているから、

 

行動が決められなくて、ずっとぐるぐるしていたいし、

 

悩んでいたい。

  

 

 

いったんネガティブなレッテルをどーんと貼ってしまうことって、

 

実はよいことなのかもしれない。

 

それは自分の意思をちゃんと決めることでもあるし、

 

高らかに宣言することでもある。

 

その意思が思い込みからくるものであっても、

 

わたしの勘違いであっても、

 

いったん定めることでやっと、

 

認識を更新することができるんじゃないかと思う。

 

 

 

レッテルを貼るのを避けていたら、

 

避け続けることが目的になる。

 

嫌いですといったんレッテルを貼れば、

 

行動が定まり、その行動の方向性によって、

 

相手の真実を知ることができる。

 

先へ進めるのです。

 

 

 

大嫌いだったレッテル貼り。

 

レッテルを貼るごとに、

 

わたしを知ることができて、

 

レッテルを貼るごとに、

 

その認識の更新ができる。

 

けっこういいやつなのかもしれないと思い始めました。

 

堂々とじゃんじゃかレッテルを貼ろう。笑 

 

そんでじゃんじゃか主張して、

 

じゃんじゃかコミュニケーション取って、

 

そしてじゃんじゃか更新しよう。笑

 

 

 

▼おなじこと書いてる方がいた◎

yamayoshi.hatenablog.com